段ボール侍



努力し続けること

それは2014年1月のことでしたが、私はまた名古屋でPTQに参加していました。このトーナメントには、当時多くの予選がそうだったように、100人以上のプレイヤーが参加していました。この時、私の日本での競技マジックプレイヤーとしてのキャリアは2年ちょっとと短かったですが、かなり努力をしてきていました。私はより勝てるようになっていましたが、持続力はありませんでした。GPトライアルやPTQを含めて、行くことができるイベントにはすべて参加しました。これらのイベントで負けてしまうことも多かったですが、いつも望みはありました。以前のPTQでは、普通のプレイヤーでも運が良ければ優勝することができ、プロツアーに進んでいました。そのイベントで勝てば、プロツアーに行くことができたのです。当時は予備予選はなく、その都度予選を突破する必要がありました。

当時はテーロスのセットが出て数か月経った頃でした。前年の秋のGP静岡から、日本では信心デッキが圧倒的に増えてきていました。信心は、特定の色に対して、パーマネントのマナ・コストに含まれるその色マナのマナ・シンボルの数を数えます。私も信心デッキでしたが、大多数のプレイヤーが黒単か青単信心だった中、私は赤主体に白を少しを加えたものでした。そのデッキは、クリーチャーを早い段階で出し、戦場に出している赤シンボルの数と同じだけの多くのダメージで、相手を攻撃するスタイルで勝ちました。私はそのデッキを使って地元のトーナメントで30人以上に勝っていたので、手ごたえを感じていました。

名古屋のPTQでは、私はコントロールデッキ相手に負けで始まり、すぐに境地に立たされました。もしトップ8に入る可能性を残したいのであれば、もう一切のミスは許されませんでした。続く6ラウンドで、負けられなかったのです - だから負けませんでした。私はコントロールデッキや他の信心デッキも破り、6勝1敗でファイナルラウンドに進みました。前回とは違って、PTQでこれだけやれたのは、意図的にトップ8入りを目指していたからです。



初めて、私はやり遂げました。ハイレベルなマジックのトーナメントで、トップ8入りしたのです。私はその時点でかなり達成感がありましたが、でもまだ終わってはいませんでした。私は自分がどこまで行けるのか見てみたかったのです。私の準々決勝での初めの対戦相手はコントロールデッキでした。早い段階で彼にたくさんプレッシャーをかけ、2-0で勝って準決勝に進みました。それは、日本人プロプレイヤーとの対戦という、私にとって初めての挑戦となりました。



私の準決勝での対戦相手は、他ならぬマジックプロプレイヤーの齋藤友晴氏でした。私は「終わった」と感じました。齋藤氏は、青白のコントロールデッキで最先端の戦術を作り上げていました。そしてそのデッキで100人以上の予選通過者を破り、スイス式トーナメントにおいて6勝0敗2分けの成績で3位に輝きました。私たちは1勝ずつして、3回戦にもつれ込みました。最終戦で、彼に除去スペルで抑え込まれる前に、私は猛烈に早い手で彼のライフを奪い去りました。

数回のターンの後、私は彼を追い詰めました。私は彼を絶体絶命な状況に追い込み、そして彼はそれが分かっていたのでターンを私に戻してきました。そこで私は、すべてのクリーチャーを使って致命的なダメージを与える選択をしました。すると彼はライフを得るために、すべてのマナをタップしてカードを引きました。私は2マナをタップし、バーンスペルを唱えて4ダメージを与えたことで、ゲームは終了しました。それは痛快な試合でした。

私は決勝戦へと進みましたが、すでに勝ったような気分でいました。PTQが自分の街で開催されており、対戦相手は私のよく知っているマジックプレイヤーでした。それは守りのゲームとなりましたが、除去と良いカードの引きで彼の脅威を寄せ付けず、2ー0で勝ちました。私はやり遂げました!日本のPTQで優勝したのです!

Cardboard Samurai(段ボール侍)のはじまり



PTQに参戦することは、多くの準備を必要とします。ほとんどのプレイヤーは、イベントに向けて練習するグループに属しています。私はあまりラッキーではなかったので、自分のグループを作ることに決めました。そのグループを、私はCardboard Samurai(段ボール侍)と名付け、その輪は日本国内だけでなくアジア全体まで広がりました。私たちは自分の地域でどんなものが主流になっているかを話し合ったり、マジックで遠征した時にはその地域のことについて情報を共有したりしました。今日では、このグループには約80人のメンバーがおり、拡大し続けています。もしあなたが日本やアジアに住もうと考えていてマジックをプレイするのであれば、私たちをフェイスブックでぜひ見つけてください。



2014年5月のプロツアーでは、私はとても素晴らしい時間を過ごしました。私は練習をする時間が無かったのと、プロチームのようなリソースを持っていなかったので、2日目に進むことはできませんでした。しかしながら、私はたくさんの新しい友人ができ、特に日本人のプレイヤーと仲良くなりました。そして、殿堂入りプレイヤーの三原槙仁氏(当時は殿堂入り前)や、そのほかの日本人プロプレイヤーと座って話をする機会がありました。長く日本でマジックをプレイしてきたので、私は欧米のプレイヤーと時間を過ごすより、日本人と日本語で話しながら楽しむことの方が数段心地よくなっていました。トーナメントは終わり、私たちはそれぞれの道に戻りましたが、今でも見かけた際には声をかけたりしています。

また会う日まで

私のマジックの旅は終焉からは程遠いですが、私がどのように今日の私になったのかについて書いた記事はこれで終わりです。読んでくださった読者の皆様には感謝を申し上げます。これからも、ユニークなコンテンツ満載の東京MTGウェブサイトをチェックし続けてもらえれば幸いです。最後は、私が競技マジックを始めて以来ずっと念頭に置いている引用をもって終わりたいと思います。この言葉が、あなたがつらい時に役に立つことを祈っています。

「賞賛に値するのは、実際に行動した人物であり、
汗と血でまみれ、勇敢に戦い、何度も間違いを犯して
成功にまで手が届かなかった人物であり、
熱意をもって身を捧げ、有意義な目標に向かって全精力を使い、
たとえ失敗したとはいえ果敢に挑戦した人物である。
その人物は、勝利も敗北も知らない臆病者たちとは一線を画している。」

ー セオドア・ルーズベルト