まずは言葉からスタート(日本語でマジックをプレイすること)

私は小学生のころからマジックをプレイしており、ゲームの初心者ではありません。しかし、ゲームショップをぶらぶらするだけのカジュアルプレイヤーから、公式のゲームでプレイすることへの第一歩を踏み出すのは大変でした。アメリカのインディアナで、初めてプレリリースに参加した時、とても緊張していたのを覚えています。他の人たちは辛抱強く私に付き合ってくれるだろうか? 彼らは親切に接してくれるだろうか? これらの気持ちは、私が日本で再びマジックをプレイすると決心した時には10倍に膨れ上がっていました。

私は静岡県の浜松市に住んでいました。浜松市は人口約80万人の都市です。決して大都会ではなく、2010年に私がマジックをプレイし始めたとき、行ける範囲には2つのショップしかありませんでした。私は結局、浜松のファンタジーコミュニティの中心であるMaster's Guildというこじんまりした店を選びました。その店は、多くのボードゲームやファンタジーアクセサリー、そしてもちろんマジック:ザ・ギャザリングも取りそろえる親切な店でした。私のアパートから自転車で15分というところも、1つの利点でした。



ゼンディカー・ブロックの終わりごろに当たる、はじめの数週間は私は頻繁に店に足を運び、他のプレイヤーとフリープレイをしました。この時期に、私はマジックのボキャブラリーについて数えきれないほど多くの質問をしました。そして、日本語でコミュニケーションをとらなければならない時のために、日本語ボキャブラリーのカンニングペーパーを作りました。数字のような基本を知っておくことは良いことですが、私はキーワード、その他の役立つフレーズなどを学ぶ必要がありました。日本語のマジック用語をどう使うのかを学ぶことは、私がしなければならなかったことで一番神経が疲れてイライラすることでした。私は継続的に間違えましたし、恥をかくこともありましたが、そてでも努力して前に進まなければなりませんでした。マジックを再び好きになったのは、競技マジックのプレイが大きかったです。今日まで、私は新しいボキャブラリーやカード用語を学び続け、他の(外国人)プレイヤーが日本でプレイする時のために、データを蓄積しています

ゲーム開始だ

2011年の大半、私は日本語でのマジック:ザ・ギャザリングのスキルを磨くために、浜松で多くのカジュアルスタンダードマッチを乗り越えてきました。そして結果的に、私は英語話者の友人たちがイベントで日本語でプレイするのを手伝うようにさえなりました。M12のコアセットが出た夏には、私はプレリリースに挑戦する準備ができたと感じていました。私は日本に来る前に、インディアナで数回プレリリースに参加しましたが、日本語で参加したことはありませんでした。もちろん、私はM12の新しいカードを勉強していましたが、私のつたない日本語で、しかもカードのことをよく知らない状態で、どうやってプレイできるというのでしょうか。念のために言っておきますが、これは私がスマートフォンを持つ前のことで、イベント中にネットでカードを調べたりすることはできなかったのです。



私には“賢い”計画があり、セット全体をプリントアウトし、必要になった時に見れるように持参したのです。私は全ての紙とインクを使い果たしたわけですが、少なくともプレイはできました(言うまでもありませんが、これを教訓にして、お金を節約するために次からはプリントショップに行くことにしました)。イベントは、浜松駅から南北に延びる遠鉄沿線にある「なゆた・浜北」で開催されました。地方でいえば、地域のコミュニティーセンターのようなところでプレイするのと同じようなものだと思います。

私のはじめての日本語でのプレリリースは上出来でした。1階にある会議室に60人近い参加者が居たと思います。私は何枚かのカードの意味を理解するのに苦戦しましたが、Master's Guildのマスターはとても親切に説明してくれたので、自信を持つことができました。私は浜松で、イニストラードのプレリリースに参加することができましたが、私の妻(当時は彼女)が仕事で名古屋に異動になり、私の浜松での時間は短くなってしまいました。そのことが、マジックプレイヤーとしての私の人生をどれほど変えるものか、私は知る由もありませんでした。

新しい世界へ

2011年の秋、私は愛知県の名古屋に引っ越しました。あなたは名古屋のことを聞いたことがあるでしょう。名古屋は、大阪や東京に次ぐマジック:ザ・ギャザリングに関わる大都市の一つで、これまでにも多くのイベントが開催されてきました。駆け出しの競技マジックプレイヤーとして、名古屋に引っ越したことがどれほど幸運だったか、私は全く分かっていませんでした。私と妻は、大きな交通の中心地の1つである金山駅にほど近いアパートに引っ越すことになりました。そこは、名古屋のマジックの中心地でもある大須観音にもとても近い場所でした。私がまずやったことは、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストのロケーターを使って、店を探すことでした。幸運にも、徒歩数分で行けるところにゲームショップがあったので、チェックするために行ってみました。その店もローカルなゲームショップで、名古屋のみで展開されている店でした。私はその店のトーナメントスケジュールを確認し、すぐにそこでプレイし始めました。プレイヤーたちに会って、彼らと仲良くなるのに2~3週間しかかかりませんでした。彼らはもう大学を卒業したので、連絡を取り続けることはできていませんが、名古屋での最初の数年間を彼らと過ごしたことは、とても良い思い出になっています。



私のお気に入りのプレイスペースの1つは、大須観音にありました。そこは古い様式のショッピングアーケードで、名古屋のベスト観光スポットの1つでもあります。ショッピングアーケードでは、様々なお店が何ブロックにもわたって道を覆っています。日本の伝統的な地域の多くに、これらのアーケードがあります。大須観音ショッピングアーケードは、週末には観光客などで大変混雑していますが、私はたいてい週末に、マジック:ザ・ギャザリングのためにそこに行きました。なぜならそこには10以上ものプレイする場所があったからです。

これらの時期を、私のマジックキャリアにおける“成長期”の数年、と呼んでもよいでしょう。私の今のマジック友達の多くに出会い、初めて外国人マジックプレイヤーのグループに参加し(今でも増え続けています)、そして競技マジックプレイヤーになるレベルまでスキルを磨いた場所でもあります。私のブログ「The Japan Hobbyist」はこの間にとても好評となり、マジックプレイヤーとして名古屋で一躍有名になりました。はじめのうちは、私はいつも「未練ある魂」や、「イニストラードの君主、ソリン」入りのアブザントークンデッキを使う“トークンおじさん”でしたが、後に私は、「ロウクスの信仰癒し人」や「ワームとぐろエンジン」のクレイジーなデッキでスタンダードをプレイする“ライフゲインおじさん”になりました。私は名古屋にいる数年で、私の人生を変え、上達するのを助けてくれた多くの人々に会いました。これらの素晴らしい経験は、浜松から一歩踏み出さなければ決して得られないものでした。日本のマジックコミュニティで、こうして今日の私があるまでには、長い時間と険しい道のりがありましたが、それだけの価値があったと思います。